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阪神大震災の教訓を忘れるな

 1月17日は阪神淡路大震災の日だ。23年前の1995年1月17日午前5時46分、淡路島を震源地とする震度7の大地震が淡路・阪神間を襲った。

 私たち家族は仲間と一緒に3泊4日でスキーに行き、16日の夜に帰宅しみんな疲れて熟睡していた。何時間眠っただろう。ドーンという下から突き上げるような音と、激しい横揺れが襲った。リビングでは全ての食器たちが踊り出し、扉を開けて空中を舞い続け、割れる音が響いた。天井の蛍光灯も落ちた。何が起こったのか直ちには理解ができなかった。妻の悲鳴が聞こえた。箪笥の上の荷物が、すべて妻と娘の上に落下した。妻は末娘を抱きかかえ落下物から守っていた。私はなぜか「津波がくる。逃げないと。」と思った。2年前の奥尻島を襲った津波のイメージが強烈だったのだろう。私の狭い書斎の本という本は飛び出し、部屋を埋めてしまっていた。

 マンションを出ると道路に亀裂が入っていた。西の空は赤く見える。あとから分かったことだが神戸方面で火災が発生していた。私は神戸で大地震が起こるとは全く認識がなく、関東地方で大地震が起こったのかと思い、尼崎でこれだから東京は全滅ではないかと思った。電気が復旧するに伴い、地震の実際が分かってきた。震源地が淡路島であることなど分かってきた。

 子どもたちが通っていた小学校と中学校は避難所となった。その日から私と息子の日課は水汲みとなった。約1カ月くらい続いた。さて当日は家の片付けを妻と子どもたちに任せ、事務所にいくことにした。信号は機能していなかったがなんとか事務所まで行った。事務所を開けようとしたが、開かなかった。ロッカーが動いでドアをふさいでいた。なんとか力づくで事務所の中に入った。

事務所の片付けをしていると電話がなった。ペルー人組合員であった。彼は神戸市東灘区の深江で、阪神高速道路が倒壊したすぐ横に住んでいたようだ。「解雇された。避難場所が分からない。」など訴えた。また別の外国人からは、「怖いからユニオンまで行きたい。」と言ってきた。

 

 大量の解雇が発生する

 こうした外国人労働者からの相談を受ける中で、被災地で大量の解雇が発生すると実感した。労働組合としての支援の在り方が問われていた。

 地震が発生したのは火曜日。当日からポツポツ労働相談などが入り始めていた。日本人はなんとかしているだろうが、外国人組合員のことや、激震地のマンションに住んでいた神戸ワーカーズ書記長の黒崎氏のことが気にかかり、その週の土曜日だったと思うが、私と上山委員長の二人で自転車になぜかリンゴを積んで出かけて行った。武庫川を越え、西宮へ入ると街並みが一変した。一階部分がない木造住宅。二階部分がへしゃげたマンションが目についた。道路は大渋滞を起こしていた。歩道に下水道のマンホールの蓋が飛び出していたり、波打っていた。住宅には移動先を記した立札が立ててあった。私は経験していないが戦争時の空襲の跡を思い出させる。教会や学校など避難者がいそうなところを訪ねた。甲子園教会だったと思うが、ペルー人の女性組合員に合えた。恐怖で震えていた。避難所にいれば食事もとれるし、情報が入ってくることなど伝え、下着と洗剤、リンゴを渡し励まして帰った

 もう一つの目的、神戸ワーカーズユニオンの黒崎氏のマンションは全壊であった。テレビなどでよく紹介された本山小学校・中学校の避難所を訪ねたが出会うことは出来なかった。後から聞いた話では避難所内の自治組織の運営に力を発揮していたようだ。

 

 阪神大震災労働雇用ホットライン

 被災地の労働組合ができることを模索し、2月5日から7日まで電話による相談会を始めた。その日から半年間は被災地を走り回ることになった。震災被解雇者で被災労働者ユニオンを結成。相談件数は3日で180件。1年では2000件の相談を受けた。

 詳細は別の機会に譲るとして、このホットラインで思い知ったのは、既存の労働組合が震災被解雇者に支援の手を差し伸べられなかったことであった。ここで活動しなければ労働組合の意味がない。戦後50年日本の労働組合は機能停止に陥ったのかと思った。

 

 日本は地震の列島

 1995年の阪神大震災後も連続して大きな地震が発生している。とりわけ2011年3月11日のマグネチュード9という東日本大震災、大津波と福島第1原発事故、2016年4月熊本地震など未曽有の被害が襲っている。火山活動も活発だ。

 政府は北朝鮮のミサイルの脅威をあおり、Jアラートを鳴らし避難訓練に巻き込んでいるが、政治がまず行うべき国民の安全対策はこの地震列島火山列島で原発を止めることだ。

 阪神大震災や東日本大震災そして熊本地震での復興の美談を流し続けるが、復興の応援に駆り出された自治体職員が過労自殺に追い込まれたり、阪神大震災の瓦礫の撤去作業に携わった明石市役所の職員が中皮腫を発病し死に至るという被害が起こり始めている。ことを知らなければならない。被災地でのアスベストの被害はむしろこれから多発する可能性がある。福島では甲状腺ガンが子どもたちを中心に発症している。

 

 不必要にミサイル危機をあおるのではなく、国民のいのちを守るのが政治の責任である。

 世界は福島第1原発事故を契機に脱原発に大きく舵を切った。我が国はどうか。次々と再稼動するという。政府は「事故を起こしたからこの日本の原発は安全だ」と世界への原発の売り込みに精を出している。理解不能だ。

 

 今日1月17日は阪神大震災から23年目だ。命を亡くされた6千数百人の冥福を祈ると同時に、地震そのものは将来にわたり避けられないとしたら、少なくとも被害を最小限に食い止めること。とりわけ原発事故を忘れず、脱原発の社会を目指すことを誓いたい。


書記長 小西純一郎

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